2019年9月8日日曜日

おうちの人のこと

夏休みの終わり頃、「うちの子がこんなに日本語ができないのは学校の先生たちがうちの子をしっかりみてくれていないからじゃないのか」という悲しい怒りの声。宿題に取り組む中で、わが子は実はこんなにわかっていないのか、ということに気づかれ、失望され、その矛先は学校に向かったようです。

小学校に入学したての時、おうちの方は日本語指導員の配置を希望されなかったそうです。日本生まれで、ぴかぴかの1年生で、これからひらがなから習っていくのだから、学級から取り出して別室で日本語を教える必要はない、そう思われたようです。

学校の先生は1学期からずっと心配していたそうです。語彙の少なさや習得に時間がかかる様子を見て、明らかに言語的な課題があり、特別の教育課程が必要ではないかと。

おうちの方が「きっと大丈夫」そう思って、それを先生に主張してきたとき、先生は「いいや、大丈夫じゃないと思う」そう思っていたととしたら、どうすればいいでしょうか。

「日本語教師の役割」のひとつとして、「おうちの人の理解を促す」があるのではないかと思いながら書いています。

たとえ日本生まれ日本育ちであっても、日本語の発達が保証されるとは限りません。家庭内の言語環境によって異なるということを、まず日本語教師は知っておくべきで、それを学校やおうちの人に否定されても説明することを諦めるべきではないと思うのです。

「日本に生まれたら日本語は心配ない」「学校に通っていれば子どもは自然と日本語を習得する」という根強い神話は、どうもなかなか消えそうにありません。おうちの方にも学校にも、伝えていかなければいけないと改めて感じています。